コロナ禍によって自分の中で変化したもの

コロナ禍による影響で当たり前のことが当たり前でなくなった今、自分の中で価値観の変化を感じています。とりとめもなく書き出してみようと思います。

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作りたいものの変化

コロナ禍が収束するともしかしたら元に戻るかもしれないのですが、作りたいと思っていたものが大きく変わりました。

僕はファッションショーの音楽を作りたいと思っていました。実際に今年に入ってからリリースしたアルバムはそれを見据えての、言ってみればリハーサル的意味合いを持った作品でした。テーマを元に複数のパーツを作り出し、そのパーツを1曲にまとめ上げるという手法はファッションショーの演出のためのリハーサルでした。ところがコロナ禍以降、全くと言っていいほどモチベーションが上がりません。実際にリリースを控えている曲があるのですが、何故がリリースする気になれないのです。

思い当たる理由は「リアル感のなさ」だと思っています。ファッションショーというものが今リアルではありません。そもそも自宅にずっといる状況にファッションショーというものが密接な関係とは思えなくなっています。

「ファッションショーの音楽を手掛けている自分に酔う」というのも正直ゼロではありませんでした。いわば承認欲求ですが、その虚構の情熱が冷めたという感じなのかもしれません。コロナ禍が開けた後、まだやりたいと思うならばそれは承認欲求ではなく本当の情熱なのかもしれません。

聴きたい音楽の変化

僕はダンスミュージックが大好きです。ただ、その気持に変化を覚えています。ダンスミュージックが好きな理由はいくつかありますが、そのうちのひとつに「イビザ島でのイベントに参加したい」というものがあります。

パリに住んでいた2年間のうち3回、延べにすると1ヶ月以上イビザ島に滞在しています。一度行った観光地には2度は行きません。何故ならもっと他にも行きたい場所があるからです。でもイビザ島は3回行きました。それほどイビザ島での体験は特別なものなのです。

今のこの状況では、ヨーロッパに行けるかどうかすら不明です。フランス大使館からのメールは今も届きますが、EU圏に入ろうとする外国人は、現時点で2週間の隔離生活を経た後、目的地への移動が許可されます。

そもそも感染が収束していない今、ヨーロッパに渡航しようとは思いません。となると、今年はイビザ島には行けないだろうと思っています。イビザ島での夏に向けてヒットしているダンスミュージックを予習するのが習わしみたいになっています。僕だけでなくイビザに集うほとんどの人が予習して訪れます。その一体感が面白さでもあり、人種を超える感覚の体験です。

イビザに行けるというリアル感なき今、ダンスミュージックを聴きたい欲求が半減しているのはそういった理由あらなのかもしれません。

心に響いてくるものとそうでないものの違いをより感じるようになった

これは、メディアなどの媒体から投げかけられるものに多いのですが、本当に心の底からの思いや、思いやりの精神でやっていることなどは胸に響いてきます。逆に、マニュアル的なものや計算されたもの、思いやりのないものは全く響きません。

多分こう感じるのは僕だけではないと思います。コロナ禍によって本物と偽物が見える化されたと言ってもよいのかもしれません。

声の大きな人が「これは良いぞ!」と投げかけても、そこに思いや思いやり、志が乗っかっていないものは淘汰されていくだろうと予想できます。

これを自分の仕事に置き換えると、自分も同じスタンスで取り組む必要があるということがわかります。大事なのは思い・志なんですね。

作り手も心から欲しいと思えるもの

これはコロナ禍関係なくずっと思ってきたことです。作っている人たちがその商品を心から欲しいと思えるものかどうかが重要です。「売れているからやっている」とか「クライアントが〜」ではなく「自分もそれが欲しいと思えるか」を見極めてモノ作りをできるかどうかで生き残れるか否かに影響してくると思います。

これは凄くシンプルですが、本質的なことなのかもしれません。向き合うべきは流行りや相手の顔色ではなく自分ということですね。

それでは!

À bientôt.

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