僕はダンスミュージックが大好きです。作ることも好きですし踊ることも大好きです。パリではクラブカルチャーがとても身近にあり、ダンスミュージック好きにとってはこの上ない環境でした。
それに比べ日本はというと、どこかネガティブなイメージを感じるのは僕だけでしょうか?
今回は日本におけるクラブカルチャーとダンスミュージックのこれからについて考えてみたいと思います。
クラブといえば、、、
正直、日本においてのクラブのイメージって「ナンパ」だと思うんです。実際にクラブへ行ってみるとそういう光景を目の当たりにします。でも、それが悪いわけでもなく、むしろ欲望に素直で良いことだとも思います。
音楽=モテるみたいな図式は昔からありますし、色恋を歌った曲は山ほどあります。なのでクラブでナンパをするという行為はそれほど間違っていないのではないかと思うのです。
しかし、それが近付き難い雰囲気やクローズドな雰囲気を醸し出している要因の1つだと思います。
クローズドなイメージはどこからくるのか
大きな音を出すので防音された空間が必要になります。必然的に何枚もの扉が必要となってきたり、地下に作ることで音漏れを防ぐ作りになってしまいます。また、照明による演出を考えると、必然的に壁の色は暗い色になり、重々しさが醸し出されてしまいます。
営業時間が夜というのもクローズド感満載です。終電とか関係なく遊びたい人でないとなかなか足が向かないので限られた人が集う場になってしまいます。ヨーロッパはナイトバスが走っているので夜遊びしても安い料金で家に帰れます。
そういったことがよりクローズドな印象を与え、「本当は行ってみたい」という人が遠ざかってしまうのではないかと思います。しかも照明は暗いし楽しみ方もわからないし、となるとある一定の人が通うマイノリティな空間になるのも必然です。
こういったイメージを覆さないことには、クラブカルチャー、そしてダンスミュージックが日本で定着するのは難しいでしょうね。
シャイな国民性
なぜナンパをする場所になってしまうのか、それは「踊ることが恥ずかしい」からだと僕は思っています。踊るということに対しての固定観念が強く、踊ることへのハードルの高さを設けてしまっていると感じます。こう踊るべきとかそれはダサいとか、周りの目を気にするクセがこんなところにも出てしまうのでしょう。本来の「気持ちいいから踊る」からは程遠いのではないでしょうか。
じゃあどうすればいいのか。それは楽しみ方や踊り方を学ぶ必要があります。
真似が上手な国民性
戦後日本は諸外国の文化を真似て復活を遂げました。そして、真似するだけでなく改良を加えて日本オリジナルの製品を次々と産み出してきた経緯があります。
海外のクラブで色んな人を見ていると、三者三様皆それぞれ踊りたいように踊っています。踊るということが特別なことでなく、「楽しいから踊る」「楽しむために踊る」という想いと行動のリンク感を見て取れます。
そういった「楽しいから踊る」という感覚を真似できる環境があれば、クラブ=ナンパという概念も変わっていくのではないかと思っています。
クラブの楽しみ方教室とか、シャイな人の踊り方講座とか(笑)日本人は習い事好きですからね。まあ、あながち冗談ではなく、本来の楽しさを知るためには習ったりお手本から真似したりするだけで「こんなふうに楽しめば良いんだ!」とか「踊りが上手くなくても楽しい!」と変わっていくと思います。
解決策まとめ
以上の問題点をもとにその真逆のパターンで解決策を考えてみます。
- オープンな空間
- 音は漏れてしまうが営業時間内厳守での音出し
- 壁の色は明るめ
- 営業時間は昼間、終電前に営業終了
- 終電前が無理ならナイトバスを走らせる
- ナンパは別の場所でしてもらう(笑)
あまり現実的じゃないかもと思いながら書いていたのですが、思い出しました。これに近いイメージのクラブがスペイン・イビザ島にあります。それはホテルの中庭がクラブスペースになっている「ホテル ウシュアイア イビザ」です。
17時から24時までがクラブの営業時間です。日替わりでイベントが行われていて、Steve AOKIやDavid Guetta、Martin Garrixなど世界的にも有名なDJがレギュラー出演します。
このやり方ならナンパ以外の項目はすべてクリアしています(笑)音漏れは仕方ないですが、営業時間が終わったら絶対に音を出さないというルールを設けることで、近隣の方の協力を得て運営すれば良いと思います。
ナイトバスは、公共交通機関を使うのは難しいかもしれませんが、送迎バスという方法もあります。いずれにせよ健全なクラブカルチャーの普及という観点で、金の匂いがしない健全な運営がされるなら根付いていくと思います。
結局は慣れの問題
そして根本的な解決策は「踊る」ことに慣れることです。踊りが非日常ではなく日常の延長になればよいのです。そのためには「場」を設けて慣れてもらうほかありません。ウシュアイアまでしなくても、少しの知恵と人々の理解を得れば実現できることだと思っています。
そんな日本になったら、もっと穏やかで豊かに暮らせる人が増えるのではないでしょうか。
それでは!À bientôt.(アビアント)